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初めて自分らしくなれた。混沌の国、インドで気付いた気持ちに従う大切さ。木内達哉さん

往復2時間の通勤ラッシュ、深夜までの残業、気のすすまない飲み会――。コロナ禍をきっかけに、在宅勤務が進み飲み会も減るなど、働き方は変わりつつあります。それでも、心のどこかに満たされない気持ちを抱えて働く人も。同じような葛藤を抱えながら、日本の常識がなにひとつ通じない混沌の国、インドで働くことを選んだ木内達哉さん(37)の気付きを紹介します。

「これが当たり前」。そう思いながらも疲弊していく心

「インドに行ったら、自分らしくいられるようになりました」

そう笑って話すのは、木内達哉さん(37)だ。東京の大学を卒業後、東京の会社で管理部門の仕事をしていた。通勤ラッシュの時間帯に片道1時間近くかけて通勤し、繁忙期は深夜近くまで残業が当たり前。早く仕事を終えても上司が帰るまでは帰りにくかったり、職場の飲み会には参加しなければいけなかったりするような同調圧力も感じていた。

「これが当たり前なんだ」

そう思って過ごしながらも、少しずつ心が疲弊していくのを感じていたという。

転機になったのが、今から10年ほど前のこと。ミャンマーへの出張だった。駐在員としてではなく、現地の法人に直接雇用される現地採用として働く日本人に初めて出会ったのだ。「こんな風に海外で働く道があったのか」。新鮮な驚きだった。

ところで、どんな経験があれば海外就職ができるのだろうか?

調べてみると、管理部門では、経理のスキルを持つ人の需要が一番高いことが分かった。そこで、経理のスキルを積むために国内の会社に転職。ところが、海外駐在ポジションを約束されての採用だったにも関わらず、海外事業の業績悪化のため、いつ駐在が実現するか分からないという状況に陥ってしまった。

このまま会社に残って、経理のスキルを磨こうか。こんな考えもよぎった。けれど悩んだ末に、今の実力で海外で働く道を探すことにした。「海外に行きたい」という気持ちが上回ったからだ。興味のあった中国、インド、東南アジア各国での案件を検討して、インドの国際会計事務所への就職を決めた。

異文化の洗礼。大遅刻なのに朝ご飯を食べていく?

「インドの1年は日本の5年に値する」

こんな言葉もインドには存在する。ヒンドゥー教とイスラム教が多数を占めるため、食事や飲酒に制限があることや、日本食が手に入りにくい生活環境もその理由のひとつ。実際に、環境が合わずに帰国する人もいるため、採用の面接では「長くインドで働けるか」というのが大きなポイントとなることもある。

そんな一筋縄ではいかないインドの印象を木内さんに聞くと、「言い表せないほどいっぱいあって……」と苦笑しながら次々と面白いエピソードを教えてくれた。

「例えば、エアコンが壊れたので修理を午前10時に依頼しますよね。でもなぜかその日に来ないどこか、3日後に来たりするんです」

こんなこともあったという。

「午前11時からのクライアントとの会議のため、社内のインド人と一緒に訪問先に向かう途中、大渋滞にはまり大幅に遅れてしまいそうになったんです。すでに10時なのに、まだ1時間半以上はかかりそうなくらい……。当時はインドに来たばかり。焦っていたら、同行していたインド人がなんと『あの店のモーニングは11時までやってるから、まだ朝ご飯間に合うよ』と言い出したんです」

訪問先が日本人の場合にはさすがに許されないが、その日はインド人との会議予定。同僚の発言に驚きつつも「そんなものなのかな」と一旦は飲み込み、念のためクライアントに遅刻する旨を電話した。すると「要件はそれだけですか(そんな些細なことで電話をしたのか?という意味)?」と言われ、さらに驚いたという。

「結局、朝ご飯を食べて、12時半くらいに到着したのですが、今度はクライアントが外出していて戻ってくる様子がありません。13時から私たちも昼食を食べ始め、結局、元々14時からの約束だったかのように、打ち合わせが始まりました」

「『こんなに大遅刻して怒ってるのかな?』と内心ビクビクしていましたが、「問題はそれを『問題だ』と思うから問題になる」というのを実感した瞬間でした。問題は私の頭の中だけで発生していて、現実には何も問題が発生していなかったんです」

こんなエピソードが次から次へと尽きない。それを笑って話せるのは、木内さんの中に異文化を受容し、理解するという姿勢が養われていったからなのだろう。

日本では評価されないことが評価される

木内さんが働き始めた国際会計事務所は、現地で日本人が設立した会社だった。当時は日本人3人、インド人15人ほどの規模。クライアントは主に日系企業で、インドに進出する際の登記の手続きを始め、財務諸表の作成、税金申告などを行う。実務はインド人従業員が行うが、それを管理し、顧客の窓口となって説明し、本社への報告を行うのが木内さんの仕事だった。

「本社役員への報告などは、日本であれば管理職がやる仕事です。前の会社にいたら10年経っても任されなかったかもしれません」

仕事のスタイルも自分にあっていると感じたという。日本では、複雑な会計の処理を正確に行うことが求められる。しかしインドでは、実務はインド人が担当し、木内さんに求められるのは、インド人と上手くコミュニケーションをとりながら、仕事を進めていくというマネジメント的な要素。「細かい会計処理より、その方が得意なんです。日本では評価されないことが、海外では評価される。キャリアの可能性や自分の価値が広がったなと感じました」

職場の雰囲気も合っていた。仕事さえきちんとしていれば、必ずしも出社をしなくてもいいという環境。時にはガンジス川のほとりに腰かけて、遺体を焼く臭いが漂う中で仕事することもあったという。混沌とした環境で、建前や周囲の目を気にすることなく、本当に必要なことだけが求められる。そうした中で、凝り固まった価値観や固定概念がどんどん壊されていき、自分の価値観を作り上げていく過程が、インドの生活にはあった。

「自分の感覚を大切に」。そこから見つかる自分の道

インドの会社を退職し、目標だった中国の会計事務所に転職した木内さんは、海外で過ごした5年間を振り返ってこう言う。

「自分の感覚を大切にすることが大事だと思います」

インドに転職することを決めた時、「上手くいくわけない」という周囲の反対も受けたという木内さん。「でも、自分のやりたいことを反対されてたからといってなぜ諦めなければいけないのでしょうか?」。そんな疑問を投げかける。

インドには、世界中から色んな人が集まる。日本で働いている時には、接点をもつことがなかったような日本人にも出会った。

会社を辞めて世界一周をしている人、ノマドをしている人、半年フリーターとして働いて、残りの半年をインドでのんびり過ごす人、80代になっても旅に出る人――。日本で働いていると、履歴書に空白を作ってはいけないと思っていたけれど、「何とかなるもんだな」と心が軽くなったという。

「自分のやりたいことをやってみると、価値観が合う人と出会うことができます。やっぱり気持ちに従うことが大事なのではないでしょうか」

*木内達哉さんや他の方の体験談は「逆転思考のキャリア」にも載っています*

 


							
						

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