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子ども2人を連れてマレーシア移住、夫は主夫!ジェンダーの壁に直面した佐々木華江さんの選択

結婚をして、子どもを産んで、望んでいた家族のカタチだったはずなのに――。日本で子育てをしながら働くことに、限界を感じてしまった佐々木華江さん(42)は、夫と子ども2人を連れて海外移住をすることを決意しました。佐々木さんの葛藤や海外移住を決めるまでの想いについて紹介します。

「マレーシアに来て、よかった」

佐々木華江さん(42)がマレーシアに移住して、もうすぐ8カ月が経つ。日本では航空会社の客室乗務員(CA)として働いていた佐々木さん。今は、マレーシア郊外にある外資系BPO企業(電話対応やデータ入力など企業から業務を請け負う会社)の現地採用として働いている。「大黒柱」の佐々木さんと、専業「主夫」の夫(44)、5歳と1歳の息子と4人での生活。これが今の佐々木さんの家族のカタチだ。

佐々木さんが、海外移住を考え始めたのは、2023年の年明けのことだった。その数か月後には、マレーシアで内定が決まり、7月末に渡航をした。夫婦ともに40代で、夫は海外経験がほぼない。子ども2人もまだ幼い。うまくいくことばかりではないけれど、佐々木さんは「マレーシアに来て、よかった」と確信している。

再就職で不採用の連続、子連れで正社員はムリ?

佐々木さんが移住を決めたのには、出産後に直面したあらゆる障壁の存在があった。当時の生活を「人生どん詰まりでした」と振り返る。

大学卒業後、アメリカ留学の経験と語学力を活かして、CAとして世界中を飛び回っていた佐々木さん。広い世界に触れることができる仕事にやりがいを持っていたけれど、30代半ばになって仕事を辞めざるを得なかった。不妊治療に専念するためだった。後ろ髪を引かれる思いで退職。幸いにも不妊治療の末に、念願の第一子を出産することができた。

元々働くのが好きだったことに加え、これからの養育費を考えて、すぐに正社員を目指して就活を始めた。しかし、現実は不採用の連続。当時佐々木さんは36歳。子どもは生後6か月。経験を活かせる航空業界やホスピタリティ業界でも面接を受けたが、最終面接まで進んでも、最後はきまって不採用だった。

「年齢と子どものことがあってでしょうか。関連する職務経験はあっても、応募職種での経験がないのも課題でした」

夫も働いているものの、子どもに色々な経験をさせてあげるためには、共働きで稼いだ方がいい。でも、互いの両親は地方に住んでいて子育てを頼れる状況ではない。保育園の送り迎えと正社員の仕事を両立しながら働けるような環境を探すのは至難の技だった。

最終的に、インターナショナル保育園への就職を決めた佐々木さん。外国籍の英語の先生と担任の先生の間に入って補助をする仕事だった。いい面は、英語を活かせることと子育てに理解がある職場環境。大変な面は、体力と給与だった。

朝早く起きて、自分の子どもの世話をして保育園に送り届けると、満員電車に飛び込む。保育園の最寄り駅に到着したとたん、ダッシュで出勤。17時半まで休む間もなく、2歳児クラスの子ども約20人のおむつ替えから、ありとあらゆるお世話に保護者対応。終わるやいなや、再び満員電車に揺られ、ダッシュで子どもを迎えに行き、ご飯を食べさせ、お風呂に入れて、21時までには寝かしつけをする。夫は平日は帰りが遅い時も、土日出勤の時もあり、週末になっても休めなかったという。

もう限界……でも、世界はここだけ?

そんな生活を3年近く続けながら、希望の第二子も授かった育休中のことだった。望んでいた家族のカタチを手にしたはずなのに、「限界」がきてしまった。

毎日の忙しさに追われて、家族みんなでゆっくり一緒に過ごすことも叶わない。よりよい条件の会社に転職しようとしても、最後に言われるのは「お子さんがいらっしゃるんですね」という言葉。転職活動中に、CA時代の同僚が転職先の航空会社で出世をし、統括部門のマネージャーとして活躍する姿を見た時は、祝福する気持ちと悔しさやみじめさが入り混じった気持ちを味わった。

同時にこんなことも思い出していた。欧州系の航空会社に勤めていた時の同僚たちの姿だ。フライト後に欧州本社に立ち寄ると、50代の女性の同僚から「1年間休職するの」と告げられた。大学で学びなおすという。学びたいから学ぶ。年齢に捉われない、その選択の自由さに衝撃を受けた。

翻って出産後の自分は、女性であること、母親であること、そして年齢にいつもいつもいつも直面せざるを得なかった。でも、そうした属性によって選択が狭まることのない社会も世の中にはある。それを知っていた佐々木さんはいつしか、子どもにもグローバルな世界を見せてあげたいという気持ちが強くなっていった。

夫は、佐々木さんと結婚するまで海外に行ったことがなく英語もできない。夫婦共に40代で、海外で拠点を築くことは簡単なことではないだろう。それでも諦めきれなくて、ある夜、夫にぽつりともらした。

「海外で生活してみたいなー」

夫の返事は、「人生短いし、楽しもうよ」。その言葉をきっかけに「人生はトライアンドエラー。やってみないと分からないことを心配してもしょうがない」と、海外就職に向けて準備にとりかかった。

佐々木さんが会社で働き、夫が主夫として家事と子育てをメインでする。語学力を考えると、2人にとってそれが自然な選択だった。

家族4人での生活をもう一度

幼稚園帰りの長男と屋台でおやつを食べる

「家族4人の時間を持ちながら、海外で暮らすこと」。これを譲れない条件として、就職活動をした。そして、外資系企業への就職が決まると、生活の拠点を整えるためにまずは佐々木さんがマレーシアへ。その1か月半後に、夫と子ども2人が渡航した。

今住むコンドミニアムは、家族4人にとって十分な広さがありながら、日本で暮らしていた時よりも家賃は安い。道路を渡ればすぐ会社で、通勤は徒歩45秒。お昼の時間に帰って、家族の様子を見ることもできる。1時間残業して18時に退勤して、会社の真下にある保育園に次男を迎えに行っても、18時10分には帰宅。家族そろってご飯を食べて、寝るまで3時間ほど話したり遊んだりゆっくり過ごすことができる。日本での生活に比べて、心にずっと余裕がある。

とはいえ、なにもかもが順調なわけではない。夫は言葉の壁もあり、新しい生活に慣れずに落ち込むことも。それでも、「自分が子どもの頃に得られなかったものを、子どもたちに与えてあげたい」という気持ちで、自分なりに居場所を探そうと努力している。

一方で、子どもたちの柔軟さには救われることも。英語が共通語の現地の幼稚園と保育園に通いながら、インド系、マレー系、中華系、イスラム系と多様なルーツをもつ友だちと楽しそうに遊んでいる。

未来はまだ分からない。でも、佐々木さんは、今の生活をこんな風に捉えてる。「家族で過ごせる一度きりの人生。今しかできない経験に、家族みんなでチャレンジしています」

*佐々木華江さんや他の方の体験談は「逆転思考のキャリア」にも載っています*






							
						

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